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2021 Vol. 5:『スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない』 薮下史郎

スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない

スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない』 薮下史郎, 東洋経済新報社, 2013

 

 本書は、NHK BS1スペシャル「欲望の資本主義」で「アダム・スミスは間違っていた」と言い放ち、現実の課題に挑み続けているノーベル賞学者のスティグリッツの理論と思想について解説したものである。

 過去数十年間にトップ1%の富裕層が国民所得の25%を獲得し、富の40%を所有するようになり、中間層の所得が下落するというアメリカ社会の格差は拡大した。このような状況に対し、スティグリッツは、ワシントン・コンセンサスに基づいて政策を進める政府・国際機関を非難している。ワシントン・コンセンサスとは、自由競争の下では市場経済が効率的な資源配分を実現するため、すべての人々が自由に競争を行うことによって望ましい結果が得られるという考え方である。これは、新古典派経済学の前提条件が満たされている場合に成立するものである。

 新古典派経済学では、たとえ分配が不平等であったとしても、資源配分の効率性を歪めない形で再分配を行った上で競争市場に資源配分を任せることによって、社会的に望ましい分配をもたらす効率的資源配分が市場で実現されるという基本的競争モデルが想定されている。この基本的競争モデルは、以下のことが仮定されている。

  1. 企業や個人は市場価格を所与のものとみなし、彼らの生産や消費に関する決定は市場価格に影響を及ぼさない。
  2. 個人や企業は取引する商品の品質や価格に関する情報をすべて持っている。
  3. 個人の消費行動や企業の生産行動は、市場取引を通じてのみ他の個人や企業に影響を及ぼす。
  4. すべての商品について、それを購入した者だけがその商品の消費・利用からの便益を受けることができる。

現実の市場では、上記の条件が満たされないことが多く、市場経済は効率的に機能しないことになる。

 スティグリッツは、個人や企業が合理的行動を取ろうとするインセンティブに対して、情報が重要な役割を果たしていると主張する。つまり、基本的競争モデルでは、個人や企業は市場で取引される財やサービスの価格および品質について十分な知識と情報を持っているという完全情報が仮定されているのだ。しかし、当然のことながら現実の経済では、すべての市場参加者が同じ情報持っているわけではなく、完全情報の条件は満たしていない。そして、一部の人がより多く、またはより正確な情報を持っている状況を非対称情報と呼んでいる。

 この非対称情報は、保険市場を例にとると、平均的な事故確率に基づいて掛け金を設定した契約について、掛け金が高いと判断すると、事故確率の小さな良質なドライバーが淘汰され、質の悪いドライバーが残るという逆選択が生じる。この逆選択は、取引契約前に問題となるものである。そして、取引契約後に問題となるものとして、モラルハザードがある。これは、保険に加入したことによって、注意義務や努力が減少することにより、加入者の行動が影響を受けるというものである。逆選択モラルハザードも保険市場を起源とするものであるが、保険市場に限定したものではなく、他のさまざまな市場にも現れるものである。

 このように、現実の経済では、情報の非対称性によって、市場原理が有効に働くことが妨げられている。市場による最適な資源配分が不可能であるにもかかわらず、過去40年以上にわたって、主流派経済学(新古典派)による新自由主義のもとで規制緩和と市場第一主義政策が実行された結果、莫大な所得格差を招いた。

 スティグリッツの言うように、基本的競争モデルが機能する前提条件が満たされていない現実の経済では、「見えざる手(Invisible Hand)」は存在しないのだ。現代経済の課題解決には、どのような処方箋が必要なのであろうか?