TechnologyとIntelligenceに憧れて

外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

2024 Vol. 2:『(新版)史的システムとしての資本主義』

新版 史的システムとしての資本主義

 

『(新版)史的システムとしての資本主義』 I.ウォーラーステイン著, 川北 稔訳, 岩波書店, 1997

 

 本書は、I.ウォーラーステインの壮大な歴史理論である、「世界システム論」の骨子をかみ砕いて紹介したものとされている。だが、「世界システム論」自体を理解することはなかなか難しい。

 本書は、「資本主義とは、歴史的な社会システムである」という文章ではじまる。

資本主義という言葉は、資本に由来したものであり、資本主義にとって、資本がキーとなる構成要素になっている。史的システムとしての資本主義と呼んでいる歴史的社会システムの特徴は、資本が投資されるということである。つまり、資本は自己増殖を第一の目的ないし意図として使用されるものであり、過去の蓄積は、いっそうの蓄積のために用いられることによって資本たりえるということだ。そして、史的システムとしての資本主義とは、諸々の生産活動を統合する場であり、時間と空間の限定された統合体である。そこでは、あくなき資本蓄積こそが重要な活動のすべてを支配する目標ないし、法則となっている。

資本主義において、いっそうの資本を得るためには、労働力を得て商品を生産し、それを売り捌く必要がある。そして、商品は売り手が要した総コストよりも高い価格で売られなければならないばかりか、その差額が売り手自身の生存に必要とする金額を越えている必要がある。さらに、利潤にあたる部分もなければならない。この利潤を得たものがしかるべきときに投資できる状態になることによって、資本の循環が完成する。

資本主義的なシステムでは、いかなる理由であれいったん格差が生じるとその格差はしだいに拡大・強化され定着していく。そして、この格差による不等価交換は、あくなき資本蓄積に向けた生産の諸過程が統合された社会的分業体制において、資本主義の中に隠蔽されていた。資本主義では、当初は地理的な格差は大きくないものの、総利潤(余剰)の一部がひとつの地域から別の地域に移されていくことによって、格差は広がっていく。ここで、余剰の一部を失う地域は、「辺境」ということができ、余剰を得る地域は、「中核」ということができる。

資本主義は、あくなき利益を追求する活動である。そこに格差が生じれば、利潤が極大するように行動する。一般的な企業活動においても、価格の低いところから仕入れ、高く売れるところに売るという活動を行っている。こうして手に入れた利潤を資本という形で蓄積し、その資本をさらなる利益を得るための投資に回す。ウォーラーステイン世界システム論は、「中核」、「半周辺」、「辺境(周辺)」として、国よりも大きな括りでモデル化している。また、「中核」の中でも、資本家と労働者の立場からは、労働者は資本家に多くの利潤を搾取されている。

既に、ウォーラーステインは2019年に亡くなっており、現在のFAANGが支配するサイバースペースをどのように考えていたのか、世界システム論は完成されたものなのか、疑問は解消されることはないであろう。

2024 Vol 1:『世界システム論講義 – ヨーロッパと近代世界 -』

世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界 (ちくま学芸文庫)

世界システム論講義 – ヨーロッパと近代世界 -』 川北 稔著, 筑摩書房, 2016

 

 世界システム論とは、ウォーラーステインが提唱した歴史理論である。世界システム論では、近代世界を一つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史をそうした有機体の展開過程としてとらえる見方である。つまり、近代世界は一つのまとまったシステムであることから歴史は「国」を単位として動くのではなく、すべての国の動向は、世界システムの動きの一部でしかないのだ。

 近代世界システムは、十六世紀に、西ヨーロッパ諸国を「中核」、ラテンアメリカや東ヨーロッパを「周辺」として成立した。ここで、「中核」とは、世界的な規模での分業体制から多くの余剰を吸収できる地域であり、工業生産を中心とする地域である。これに対して、「周辺」とは、食糧や原材料の生産に特化させられ、「中核」に従属させられる地域のことである。さらに、世界システムには、全体が政治的に統合されている「世界帝国」と政治的には統合されていないが、大規模な地域間分業によって経済的に結ばれている「世界経済」とがある。近代世界は、全体が世界規模で資本主義的な分業体制にある「世界経済」の原理で成り立っている。

 こうした歴史の流れの中、十八~十九世紀には、世界システム論の観点から見て、「周辺」に位置付けられた地域の従属状態からの脱却を目指す、「半周辺化」の運動(革命)が起こった。「周辺」と位置付けられた従属地域は、いったん支配的な中核国との関係を断ち切らねば、不等価交換による搾取と従属による社会・経済の構成の歪みを生む圧力を受けるため、その立場から脱却することができないのだ。

 転じて、日本を見てみると、江戸時代の鎖国制度の結果、世界システムから切り離された状態であり、その後の明治維新による開国後も、日清戦争に勝利することにより、中核国から支配されることを回避することができた。この結果、世界システム上の地位を高めることができ、「半周辺」の地位にとどまることができたのだ。ただ、戦後の日本は、アメリカの従属国になってしまっているようにも見えるが、、、

 これまで資本主義は、「中核」、「周辺」、「半周辺」から成り立っていたものが、もともと「周辺」に位置付けられていた、植民地の消滅や新興国の経済発展により、「周辺」の拡大が難しくなっている状況であった。「周辺」が拡大できなくなり、資本主義の発展に陰りが見えることは、既にマルクスが『資本論』で「資本主義は行き詰まる」と表現していた。

現在は、ITの急速な発展により、FAANG(Facebook/Apple/Amazon/Netflix/Google)と呼ばれるビックテックが利益を独占するようなサイバーサイバー空間が現れている。このサイバー空間は、これまでの「周辺」に代わるものとして、「中核」に利益をもたらすものなのであろうか?それともこれまでの「中核」に取って代わり、搾取と従属により、莫大な利益を上げ続けることになるのであろうか?

失われた30年を過ごした日本は、かつての輝きを取り戻すことができるのだろうか?それともこのままゆっくりと沈んでいくことになるのだろうか?

ひとえに、我々ひとりひとりの行動にかかっているのではないだろうか?

『欲望の資本主義 2024 - ニッポンのカイシャと生産性の謎 -』

『欲望の資本主義 2024 - ニッポンのカイシャと生産性の謎 -』

 

 2024年の『欲望の資本主義』シリーズのテーマは、「ニッポン」であった。

 現在のニッポンは、課題山積の状態である。

・インフレに追いつけない賃金上昇

・急激に進む少子高齢化

 実物経済はというと、商品を作るための原材料費、光熱費などが高騰しているコスト上昇分を商品の価格に転嫁はシェア低下を招き、円安に伴う外需型産業の景気は上向きであるのに対して、内需型産業は長期間にわたり、フラットな状況である。

 日本経済はというと、人口減少とテクノロジーの新しい波に飲み込まれ、1990年代の余韻に浸り足踏みするスローが進行を選択した結果、労働生産性や賃金水準がほぼフラットな状態を継続する「失われた30年」を過ごすこととなった。今のままでは、このまま40年を迎えてしまう可能性もあるのだ。

かつて、日本企業の優位性とされていた、終身雇用と年年功序列賃金は、労働市場流動性を低下させ、専門性に富んだジョブ型雇用にそぐわなくなってきている。この結果、社会の階層化が進み、多くの人々にとって社会的上昇の機会を得ることが狭まりつつある。さらに、日本では、男女格差の労働市場の中で、才能を活かせていない、あるいは機会を与えられていない状況が発生している。

これまで、日本では、労働を作業ととらえ、作業×かかる時間が労働時間となり、労働の成果にしていた。ここで、労働者の単位時間あたりの単価を設定すると、労働にかかるコストとなる。多くの業種の企業で利用されている作業工数の考え方である。日本では、この作業の結果、商品のような有形資産が生み出されることが一般的であった。

現在は、「脱工業力」、「デジタル化」、「無形資産」の時代に大きく変化している。無形資産とは、ブランド、アイデアなどの形のないものである。こと日本人においては、形のないものは無料と考える潜在的な傾向があり、無形資産への関心が薄いと考えられる。その結果、無形資産が資産に占める割合が他国に比べ低い状況である。また、デジタル化についても、「iモード」による携帯電話からのインターネット接続が普及したなど、当時の日本は最先端に位置していたはずである。だが、半導体スマートフォン、生成AIなど多くの分野で日本は後れを取っていると思われる。

日本は戦後の高度成長という過去の成功体験を捨てることができず、いいものを安く提供することがよいことという日本の文化が長期にわたるデフレ・スパイラルを引き起こしたのだ。そして、ここ数年の物価上昇も経済成長に伴う物価上昇(インフレ)ではなく、単に物価のみが上昇しているように感じる。

このような状況を脱却していくにはどうすればよいのか?

日本経済はパラダイムシフトをすることができるのであろうか?

具体的には、硬直化した労働市場における労働力の流動化と形のない無形資産への信頼と評価が必要であろう。特に、無形資産は、持つものになるか、持たざるものになるか、大きな分かれ道である。現代を生きる我々は、「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない(カエサル)」状態から脱却し、すべてのものを広い視野でとらえ、正しい方向に進む知識、経験、判断力を持つ必要があるのではないか?

 





 

2023 Vol. 1:『ゼロからの『資本論』』

ゼロからの『資本論』 (NHK出版新書)

『ゼロからの『資本論』』 斎藤幸平著, NHK出版, 2023

 

 本書は、非常に難解なマルクスの『資本論』を近年の研究成果を踏まえながら新しい視点で『資本論』を読み進めようというものである。

 マルクスの『資本論』は、著者の斎藤氏も言っているように、非常に難解であり、また未完とは言え、第三部におよぶ大作である(マルクス自身が書いたものは第一部のみ)。『資本論』は、「商品」から始まるのであるが、ここで商品には2つの側面がある、という。1つは、「使用価値」である。これは、人間にとっての有用性、つまり人間のさまざまな欲求を満たす力である。もう1つは、「価値」(交換価値)である。この価値が資本主義において重要な意味をもつのだ。商品になるためには、市場で貨幣と交換されなければならない。市場で交換されないものは、使用価値しか持たず、たとえ値札が付けられていたとしても、その値札の価値を理解することができない。マルクスによれば、商品の「価値」は、その商品を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる、という。これが「労働価値説」と言われるものである。

ここで「労働」について、マルクスは、人間が自然との物質代謝を規制し制御する行為と定義している。「物質代謝」とは、「生体に取り込まれた部物質が、多様な化学変化を経て、異なった物質となって体外に排出される過程」を指す言葉であり、本書はこの物質代謝の観点から『資本論』を解説している。

 資本主義社会では、あらゆるものが商品化され、社会の「富」が「商品」に姿を変えていく。これは、物を作る(労働の)目的が「人間の欲求を満たす」ためから「資本を増やす」ためになっているからである。この結果、一部の人が富を独占するようになり、一方、庶民は長時間労働、不安定雇用、低賃金などを余儀なくされる、という深刻な格差を生み出しているのだ。

 かつて、J・M・ケインズは、資本主義が発展していけばやがて労働時間は短くなると予言した。ケインズは、生産性の上昇が労働者を労働から解放すると考えていたのである。だが、現実には、資本家は生産性を上げ、より安く生産して、市場での競争に勝ち、より多くの利益を得ようとするため、労働者の労働時間は短くならなかったのである。さらに、資本主義で求められるイノベーションは、労働者を重労働や複雑な仕事から解放することを目指したものではなく、労働者を効率的に支配し、管理するためのものなのである。

 マルクス・レーニン主義による共産主義は、1990年代初頭のソビエトの崩壊によって失敗に終わったと認識されている。同時に、マルクスの『資本論』も意味のないものと考えられるようになっている。だが、現代の資本主義社会が本当に我々にとって望ましいものなのか、振り返ってみることも必要なのではないか?

資本論』の非常に難解な文章を読むのは難行なので、マルクスの最新の研究成果を交えて、斎藤氏の解説を期待したい。

『欲望の資本主義 2023 – 逆転のトライアングルに賭ける時 -』

 

『欲望の資本主義 2023 – 逆転のトライアングルに賭ける時 -』

 

 ここ数年、年始の恒例となったNHK BS1スペシャル『欲望の資本主義』シリーズの最新作である。今回は、現在の覇権国であるアメリカが衰退してきており、その結果、グローバリゼーションの終焉を迎えようとしている状況から今後の資本主義の行方について考えようとしているようだ。

 現代は、さまざまな面で格差が生じる時代である。研究開発への投資の結果、イノベーションが進んでいる先端企業はますます発展し、遅れている企業はますます遅れていく状況である。つまり、累積投資と研究開発がイノベーションを生み、企業に大きな権利を生じさせるのだ。だが、イノベーションは、いいことばかりではなく、イノベーションこそ悪という側面もある。悪いイノベーションが良いイノベーションを駆逐する、消費者にとっていいものを駆逐してしまう面もあるのだ。

 現在、「超大国アメリカは、多くのモノを輸入に頼っている。さらに、社会の基盤を支えるエンジニアについても自前で調達することができず、外国人に頼っている。つまり、モノだけでなくエンジニアも輸入している状態になっている。世界の超大国であるアメリカの力が衰える時代に入り、アメリカは政治的にも経済的にも影響力を弱めつつある。中心なき世界秩序の時代あって、アメリカに替わって、世界のリーダーになる国が登場することはなく、次第に世界は減速していくことであろう。欲望の曲がり角に来た今、アメリカの影響力から距離を置きつつ、我々はどこに向かうべきなのだろうか?

 アメリカの前の覇権国のイギリスは、サッチャー時代から「モノを作れば売れる」という思想のもとで経済運営をしていた。この発想からすると、より大きな市場を相手にすることが望ましいはずであるが、ブレグジットによりEU離脱を行い、EUという巨大市場を手離すことになった。イギリスは、EU離脱国民投票が可決されたころから迷走し始めたのだ。

 こうした状況の中、日本はどうなのであろうか?

 日本は、「失われた30年」と呼ばれる、慢性デフレと急性インフレがからみ合い、最低レベルのインフレ率で、結果として賃金も物価も上がらない時代を過ごしてきた。この「失われた30年」は、モノづくりから金融にシフトした時代であり、気分が支配し思考が停止した時代であった。このため、日本では社会システムとデザインする経験が失われてしまったのだ。

 資本主義が機能するためには、これまでの政府―企業という官民の協業だけでなく、市民社会を含めたトライアングルを形成することが必要となる。民間投資と公共投資イノベーションの源泉となり、十分な情報を保有した政府が効率性と公平性を提供することができれば、社会は安定を得られるであろう。そして、日本では、労働者が別の企業へ容易に移ることができるような労働市場の改革が必要である。ここには、移民を受け入れることも含まれる。

 今後の資本主義は、経済成長の減速を制御しながら、公平な再分配が必要となる。これまでの成長一辺倒の膨張から循環の経済へ転換していくことが必要である。

 「成長」、「投資」、「イノベーション」、「欲望」、「自分で考える」..番組の最後に挙げられた言葉が意味するものは、、、、ケインズシュンペーター、歴史的な偉人と対話しつつ、自分自身で物事の本質を見極める目を養い、自分自身で判断する能力を身につけることが必要だ。

 

 



 

2022 Vol.12:『GE帝国盛衰史 ―「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』

GE帝国盛衰史――「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか

『GE帝国盛衰史 ―「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』 トーマス・グリダ、テッド・マン著, 御立英史訳, ダイヤモンド社, 2022

 

 本書は、表紙の折り返しに記載されているとおり、100年以上にわたって輝き続けたゼネラル・エレクトリック(GE)が、なぜ、どのように凋落したのかを記した歴史的著作である。

 GEは、「20世紀最高の経営者」と呼ばれた、ジャック・ウェルチCEO時代に隆盛を極めた。本書は、ウェルチの後にCEOとなったジェフ・イメルトの時代の好業績とその後の凋落に続いていく企業内部での動きを掘り下げている。

 GEは、ウェルチ時代から引き続き、イメルトもCEOが取締役会長を兼ねる組織体制であり、この結果、取締役会がCEOの経営のチェック機能を果たせず、CEOの意向・暴走を止めることができなかったようだ。CEOが取締役会長を兼ねるということは、その会社の経営すべてにおいて、絶対権限を持つことになってしまう。この結果、CEOの意に反するものは排除され、まわりの人間すべてがイエスマンになりかねない。絶対権限を手に入れた人間が暴走して大きな失敗を犯すことは過去の多くの事例を見れば明らかである。

 本書によると、イメルトは企業の財務面の資質に欠けていたようだ。もし、イメルトが後任のフラナリーのように企業財務の資質があれば、GE内で隠蔽された問題に気づくことができたと思われる。だが、日本人の多くの経営者も自社の財務面を解釈していないのではないだろうか?

大企業であれば、CFOが企業財務の観点からビジネスの状況や健全性を判断し、CEOは財務面を見ないということも考えられる。これでは、企業経営は成り立たなくなってしまう。だが、数字だけで企業経営ができるわけではない。イメルトのような人を引き付けるプレゼンテーションとリーダーシップも必要である。そして、危機に直面した時には、楽観的に考えるのではなく、最悪の事態を想定して、迅速に対処することが重要である。そうでないと、多くの企業、団体が陥ったように、事態は悪化の一途をたどることになる。

本書は、米国有数の優良企業であった、GEが実際には、CEOが株主に約束した目標数値を達成するために、GEキャピタルによる操作が行われていた内情を描き出している。そして、エンロン事件を契機とした米国政府によるコーポレートガバナンスを強化する法整備がなされ、その結果、従来GEが実施していた収益計上ができなくなり、崩壊していくこととなった。かつて、GEでは優秀な人材が育成されている、と言われ、歴代のCEOはGEの内部から就任していた。イメルトの後任で、GEの立て直し策を練り、実行しつつある状態で解任されたフラナリーもGE社員であった。だが、現在は、外部から取締役会に招聘されたカルプ氏がCEOを務めており、フラナリーが実行しようとしていた戦略をGE外部からきたCEOを実施しているというのは、皮肉である。

かつて、「ニュートロン・ジャック」と呼ばれるほど、目標数値に対して、精神に支障ときたすほど上司から追いつめられる状況は、捏造、隠蔽など違法ないし、合法すれすれの状態の温床となる。そして、上位マネジメントは、数値が絶対のものとなり、「確証バイアス」をかけてしまうものなのだ。この結果、物事の本質を見失ってしまうのではないか。

 

2022 Vol. 11:『GAFA next stage 四騎士+Xの次なる支配戦略』

GAFA next stage ガーファ ネクストステージ―四騎士+Xの次なる支配戦略

GAFA next stage 四騎士+Xの次なる支配戦略』 スコット・ギャロウェイ著, 渡会圭子訳, 東洋経済新報社, 2021

 

 本書は、GAFAが戦略的に作り上げた世界描いた『the four』の続編である。新型コロナによる世界的なパンデミックを経験した現代経済において、GAFA+Xの支配戦略はどのようなものなのであろうか?

 新型コロナのパンデミックが起こったことにより、USの株式指数は一時的に急落したがその後急速に回復した。これは、ビッグテックや少数の大企業が莫大な利益を上げているためである。この結果、強者はより強くなり、弱者はより弱くなり淘汰されていくことになった。

パンデミック以前から好調であった企業は、この世界的な危機から多大な恩恵を受け、資本市場から十分な資金を得て、収益の減少を補い、さらに競争力を高め、新たな分野へ進出している。一方、競争力の弱い企業は資本市場から淘汰されていく。この危機に対処していくためには、自社が市場全体、および業界内でどのようなポジションにあるかを理解することが重要である。そして、コスト削減による徹底的な減量も必要である。

 第二次世界大戦以降、平凡な製品を大量に生産し、漠然としたイメージでそれを売り込む「ブランド時代」が、インターネットの登場により、ソーシャルメディアの普及とインターネット検索により終焉した。広告会社により作り上げられた「ブランド時代」は、さまざまなデジタル・ツールにより破壊され、広告が力を失った、「プロダクト時代」に突入した。

 プロダクト時代には、「商品を製造コストより高い値段で売る」と「商品を無料で配り、他の企業に利用者の行動データを有料で提供する」という大きく2つのビジネスモデルがある。筆者のギャロウェイは、前者を高品質でブランド力があり高価格だが、裏でデータ利用されることが少ないとし、「青」のビジネスモデルと定義した。一方、後者をまずまずの品質で初期費用が安い、あるいは無料であるが、ユーザーのデータとプライバシーを広告主に差し出さなければならないものを「赤」のビジネスモデルとした。いずれ産業界は2つのビジネスモデルに分岐していく、iPhone/アンドロイドやネットフリックス/ユーチューブなど既に多くのものが青と赤に分岐してきている。

 新型コロナによるパンデミックは、「GAFA+X(マイクロソフトやネットフリックス)」のようなビッグテックに高業績をもたらした。結果として、我々はビッグテックの世界に生きているということだ。ビッグテックは、「イノベーション」、「不明瞭化」、「搾取」の力で既に持つ特権的な地位を活用して大きな成果を上げているのだ。

 このような現代社会において、我々はどのように生きていけばよいのだろうか?

 単に初期費用が安い(あるいは無料)に惹かれ、裏で個人のデータやプライバシーが抜かれていることにも気づかず、知らないうちに「赤」のビジネスに貢献してしまっているかもしれない。これまで以上に、現代は自己責任において、隠された部分をも見極めていかなくてはならないのかもしれない。