TechnologyとIntelligenceに憧れて

外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

『欲望の資本主義 特別編 「コロナ2度目の春 霧の中のK字回復」』

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『欲望の資本主義 特別編 「コロナ2度目の春 霧の中のK字回復」』

 

 NHK BS1スペシャル:「欲望の資本主義 特別編」を視聴してみたので、思いつくまま感想を書いてみようと思う。

 まず、タイトルにもある「K字回復」とは、現時点を縦棒として今後回復していく分野をこれまで以上に悪化していく分野に分かれていくことを指している。このK字回復は、国内的には今後景気が回復していく産業と今後も景気が回復せずに悪化していく産業に分かれる。また、国際的には、今後景気が回復していく国と今後も景気が回復しないままの国に分かれていることが予想されている。

 番組内では、先進国のような政府が健全な国は回復基調に乗るのに対して、開発途上国は、回復基調に戻るまでには時間がかかるとしている。現在のコロナ禍に対して、有効な対策を打てず、単に国民の自粛を求める日本政府が健全な国家と言えるのだろうか?

 一方、日本の国内産業のレベルでは、製造業は回復基調に乗るのに対して、外食や観光は厳しい状態になるとしている。おそらく今回のコロナ禍で外食産業や観光業は壊滅的な打撃を受けてしまった。ここからの回復にはかなりの時間を要すると思われる。だが、多くの企業が保有する無形資産が景気回復を牽引していく。この無形資産の価値は、将来への期待につながり、この期待が行き過ぎるとバブルを招く。現在の株価高騰は行き過ぎた将来への期待の表れか?

市場とは、人々の英知が集約する場所であり、これまでの金融市場は、入手可能な価格情報を瞬時に反映して合理的で効率的な市場を形成するという「効率的市場仮説」を前提としていた。これに対して、ロー氏は、人間の行動は最適ではない意思決定をもたらすこともあるが、市場参加者は学習を行い、新しい環境に適応する進化を遂げるという「適応的市場仮説」を唱える。適応的市場仮説では、群衆の英知を結集し、市況に応じて変化に適応することが現実の金融市場では必要であると説く。

 日本経済の指標によると、コロナによるパンデミック状態の中、2020年の倒産件数は減少した。これは、コロナ対策の補助金で本来なくなっているはずの企業が生き延びた、つまり、本来人を守るべきなのに、人を守るのではなく企業を守っている側面があるようだ。本当にそうなのだろうか?程度の差こそあれ、企業は従業員から搾取して存続している部分はあり、企業は政府の補助金に頼るのではなく、市場で求められる新しい業態へと転換していくことが必要である。企業はコロナのパンデミック後を見据えて、政府保証という麻酔からの脱却を図る必要があるのではないか?

 既に倫理と人を排除した経済学は、現実とモデルが乖離し、現実社会とは別のものになってしまった。コロナによるパンデミックは、人間にとって大切なものを気づかせる期間となり、資本主義の再構築を加速させる。そして、持続可能な社会に向けて、これまでの伝統を維持するのか、伝統を適用させるのか、新たな社会規範の構築がはじまる。バブルによる流動化は、現代資本主義を終焉させ、固定化という新しい中世を生み出す。デジタル・テクノロジー主導の資本主義の先にあるものは、中世のような定常的な社会なのであろうか?

 痛みは人が発するメッセージである。このメッセージを見過ごすことがない社会が再構築されることが必要だ。