TechnologyとIntelligenceに憧れて

外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

2021 Vol. 4:『非対称情報の経済学 - スティグリッツと新しい経済学 -』

非対称情報の経済学~スティグリッツと新しい経済学~ (光文社新書)

『非対称情報の経済学 - スティグリッツと新しい経済学 -』 薮下史郎, 光文社新書, 2002

 

 本書は、これまでの伝統的経済学のみならず、新しい経済学である「非対称情報の経済学」を理解し、新しい視点から現実の経済問題を検討することを期待して、一般のビジネスマンへの入門書として書かれたものである。

 アダム・スミス以来の経済学における伝統的な考え方は、経済は市場メカニズムに任せると、「神の見えざる手」によってうまく調整されるというものである。この結果、市場経済においては、個人や企業が自らの利益のためだけに行動することによって、経済全体に取っても望ましい状況が生み出されるという。だが、このような市場メカニズムが適切に機能するためには、1)商品の同質性、2)情報の完全性、3)所有権の確立と保護、を前提条件とする完全競争市場が存在することである。つまり、市場で取引される商品は、生産者が異なったとしてもすべて同質のものであり、財やサービスに関する情報が完全であり、取引対象となる商品の所有権が確立されていることが前提である。そして、このような完全情報の経済では、貨幣も銀行も何の役割を果たさなくなる。

 一方、伝統的な経済学に対して、疑問を感じた三名の経済学者を中心として、「非対称情報の下での市場」に関する研究が進められ、「新しい経済学」が確立された。この「非対称情報の下での市場」に関する研究への貢献として、アカロフ、スペンス、スティグリッツの三名には2001年度のノーベル経済学賞が授与された。

 この新しい経済学では、市場での情報が不完全・非対称であるとし、市場がどのように機能するのかを考える。市場に参加している経済主体(消費者や生産者など)が取引される財・サービスの質について同じように情報を持っているわけではない。自分が生産しているものを販売しているのであれば、売り手は生産過程を通じて商品の質を知ることができるが、買い手は同様な情報を入手することができない。つまり、売り手の方が買い手よりも商品の質に関して多くの情報を持っている。同様に買い手間においても、一部の買い手は多くの情報を持つことがある。このような情報の非対称性は、質だけでなく、価格などさまざまな場面で発生している。

 こうした非対称情報の下では、リスクの小さな市場参加者が撤退してしまい、リスクの大きな参加者のみが残る「逆選択」や故意や不注意によって事故を生じさせ、不当な保険金を受け取ろうとするような「モラルハザード」の問題が発生する。この問題は市場経済では解決することができず、結果として非効率な資源配分と不平等な所得分配をもたらす。そして、この非対称情報によって発生する市場が本質的に抱える不完全性は、政府による規制撤廃だけでは解決することができず、租税制度の改革や情報の非対称性の緩和のための情報の拡散のような政府による政策が必要となる。つまり、政府の役割は、市場メカニズムの不完全性を補い、望ましい所得分配を達成することである。

 これまでの伝統的な経済学が前提としている完全競争市場の幻想を捨て、現実の社会が非対称情報下にあることを前提とすると、現代の社会に発生している格差拡大などの多くの問題の解決への糸口が見つかるかもしれない。かつて、ケインズは、目の前の課題を解決するために全力を注いだ。現代にケインズが生きていたら、どのような処方箋を描くであろうか?