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Vol. 6:『ケインズかハイエクか』  ニコラス・ワプショット

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ケインズハイエクか -資本主義を動かした世紀の対決』 
ニコラス・ワプショット 久保恵美子訳, 新潮社, 2016

 本書は、第二次世界大戦中に、ケインズハイエクがドイツの爆撃機の襲来に備え、ケンブリッジ大学の屋根の上で夜間警備をしていた場面から始まる。この本は、ケインズハイエクの思想を中心として、1919年~2010年頃までの経済思想史をつづるものである。
 ジョン・メイナード・ケインズは、一貫して実生活上の難局に立ち向かう姿勢で、1920年代から1930年代にかけての不況に伴う大規模な失業に対する解決策を探求していた。そして、ケインズ景気循環の谷の時期には、慢性的な需要不足によって、経済活動が停滞し、不要な失業が生じるため、政府が需要を作り出すべきと考えていた。
 これに対して、フリードリヒ・ハイエクは、あらゆる市場は時間の経過とともに需要と生産者からの財の供給が一致する点で均衡状態に達するというオーストリア学派の考えをベースに、不況に政府の借入金による投資で対処しても、事態は悪化するだけであり、長期的に経済は完全雇用が実現する均衡状態を回復すると考えていた。
 この両者の論争は、ケインズの死後学問として確立されたミクロ経済学の考え方とマクロ経済学の考え方の違いによるもので、同じ舞台での論争ではなかった。つまり、ハイエクは、経済を構成する費用や価値などのさまざまな要素に注目するミクロ経済学的なアプローチであり、ケインズは、供給、需要、金利などの経済の各要素の集合体を上から見下ろし、全体像を把握し、経済全体を判断するというこれまでの経済のしくみを考えるマクロ経済学的な概念であった。
 ケインズの考え方は、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)に集約され、その後、「ケインズ革命」と言われるように経済学の多くの領域に根付くことになった。そして、戦後の世界をリードしたアメリカでは、歴代の大統領が好むと好まざるとにかかわらず、経済成長と安定的な物価水準の実現を目指してケインズ主義政策を実行した。
 しかし、1970年代の景気が停滞した不況状態に伴う失業率の上昇と物価上昇が同時に発生する状態(スタグフレーション)によりこれまでのケインズ政策の失敗が明らかとなった。そこで、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権では、ハイエクの理念を推進し、政府を縮小して自由な企業活動の活性化を目指した。特に、レーガンの経済政策は、レーガノミクスと呼ばれ、金融引き締め政策、減税、およびサプライサイド経済学規制緩和法人税減税)により、より多くの財をより安く生産することを目指した。
 このレーガンの経済政策を支えたのが、マネタリストの代表格のミルトン・フリードマンである。フリードマンは、大恐慌は貨幣供給量の縮小による大収縮であると考え、景気循環の緩和策として、貨幣量の増加を抑制し、ゆるやかな増加になるように貨幣供給量を管理すべきであると考えた。ハイエクは、金融政策が機能する余地は限定されたものであると批判した。このフリードマン政策を実行したレーガン政権は、インフレ抑制には成功したが、結果として政府による税金投入は増大することとなった。
 この「小さな政府」と「自由市場」を目指した政策は、2007年の不況により政策の失敗が明らかとなった。このため、当時のブッシュ政権とそれに続くオバマ政権は、ケインズ主義政策を実行した。
 本書の最終章において、ケインズハイエクの論争の勝利者はどちらかという問いかけがある。ケインズは、『一般理論』により、経済の大局的な分析方法を提示し、経済の研究に大きな業績を残した。この『一般理論』に対して、ハイエクは明確な反論をしていない。これは、ケインズと自身の論点が同じ舞台ではないことに気が付いていたことと、ケインズが直面している難局に対する解決策を探求していたためだと考える。
フリードマンは、貨幣供給量を管理するマネタリスト的な解決策により、経済学としてはケインズ主義を精緻化し、政治的にはハイエク的に国家の介入が自由市場の力を妨げるという立場をとった。つまり、ケインズハイエクの両者のよい部分を経済政策の柱としていたように思われる。
現在の経済は、GAFAなどのデジタル・プラットフォームの支配などにより、ケインズハイエクが研究していた時代とは大きく異なっている。経済は、時代に応じて変化していくものと考えられるが、現代の時代を反映した経済理論の登場も必要と考える。

 

(2019. 8.19 掲載)