TechnologyとIntelligenceに憧れて

外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

Vol. 4:『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』 丸山俊一

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マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』 
丸山俊一+NHK「欲望の時代の哲学」制作班, NHK出版, 2018

 本書は、ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルが来日した際の発言・行動をまとめたものである。
 本書は、彼の「世界は存在しない。」という発言から始まる。これは、ガブリエルが「世界」という言葉がすべてを包括し、人々が共通の意味を認識することはない、という考えに基づくものである。世界が存在しないのに対して、「一角獣(ユニコーン)は存在する」とする。これは、一角獣は伝説の生き物であるが、人は同じものを想像するからである。つまり、人によって解釈が異なるものは存在しないと考え、同じものと認識するものは存在すると考えている。
 経済と資本主義について、人間は自分たちのために何かをしていると思っているが、実は、人間は大きなネットワークの要素にすぎないという見方もできる。人間はシステムを維持する一端を担っている。つまり、人間のためのシステムではなく、システムのために人間がいるというとらえ方もできるということである。これは、視覚的に見えていることと実体(真実)が逆さまになっているのかもしれないということである。
 そして、ガブリエルは、スクランブル交差点は資本主義の心臓であり、彼の哲学でいうところの「意味の領域」であるとする。これは、資本主義の世界における欲望と欲望が重なり合い、無限に複雑で、単一の統一されたものなどない真実がこの交差点で交差していると考えている。
 我々は、民主主義、気候変動、中東の破滅の可能性など深い危機の時代に生きている。今何が起こっているかを理解し、本当の真実を見つけ出し、人類全体として力を合わせるために新しい観念が必要である。ガブリエルが主張する「新実在論」は、現実は見るモノからのみ成り立っているわけではないと考え、多元的な価値観をも肯定するものである。
 日本とドイツは、似ているところが多いと言われている。SNSについては、日本人はコミュニティを作るためのものではなく、広報手段として使用している。ドイツ人も同様に自分の考えや存在をブロードキャストする目的で使用している。だが、日本とドイツには、違いも多く存在する。ドイツ人と日本人の道徳行為は、ドイツ人が「道徳的行為というものは客観的な判断ではなく主観的な判断で有無をいわずに行うべき」と考えるのに対して、日本人は、「客観的な面を気にした上で、体面を保つための道徳行為」と考えている。また、ドイツでは、「人間の尊厳は不可侵である」という観念が存在するため、ロボットやサイボーグなどのヒューマノイドを認めない人も多く存在する。これに対して、日本では、「人間性」についてドイツのような固定観点を持っていないため、ロボットが受け入れやすいことにつながっている。
 「シンギュラリティは30年前に起きていた」、スマートフォンを使っているつもりが、いつしか使われていると言われても仕方がない時代に既になっているからこそ、現実を見て、勇気を持った行動が必要になってきているのではないか。

 

(2019. 5.19 掲載)