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2022 Vol. 8:『資本主義だけ残った -世界を制するシステムの未来-』 

 

 

『資本主義だけ残った -世界を制するシステムの未来-』 ブランコ・ミラノヴィッチ著, 西川美樹訳, みすず書房, 2021

 

 人間は、1つのものに収斂するのではなく、複数のものを対立軸として形成する傾向にあるようだ。1989年のベルリンの壁崩壊、それに続くソ連の崩壊により、資本主義と共産主義という対立軸がなくなった。そして、本書のタイトルにある、「資本主義だけ残った」という状況となった。だが、この資本主義は1つの社会経済システムではあるが、2つの異なるタイプの資本主義があるようだ。2つのタイプの資本主義とは、「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」の2つである。

 本書では、資本主義を「生産の大半が民間の生産手段によって行われ、資本が法的に自由な労働を雇用し、調整が分散化されたシステム」と定義している。そこに、「能力主義」と「リベラル」が取り込まれた。「リベラル能力資本主義」とは、モノとサービスがいかに生産され交換されるか(資本主義)、それらが個人間でいかに分配されるか(能力主義)、社会的移動性がどれくらい存在するか(リベラル)にかかわるものと定義される。このリベラル能力資本主義の代表はアメリカである。リベラル能力資本主義では、総所得における資本所得の割合が上昇傾向となり、比較的少数の資本から高い割合で所得を得る裕福な人々を生み出す。この結果、個人間の所得の不平等は拡大していく。さらに、獲得した優位性は世代間に継承され、不平等が是正されることはない。このことは、教育や職業も機会の平等性も失われている。つまり、アメリカン・ドリームを実現する可能性はますます低くなっているのだ。

 「政治的資本主義」は、経済的利益を得るために政治的な力を使用することであり、この政治的資本主義を実践する代表は、中国やヴェトナムである。政治的資本主義では、a)官僚が高い経済成長を実現し、この目標を達成する政策を実行することを主たる義務とする、b)法の縛りがないこと、そして、c)国家は国益に基づく政策に従い、必要とあらば民間部門を統制する自律性を保持していることが特徴である。だが、この政治的資本主義は、二つの矛盾が内在している。a)高スキルを持つテクノクラート(官僚)のエリートはルールに従い、合理的なシステムの枠内で働くよう教育を受けているにもかかわらず、法を恣意的に運用する環境で働かざるをえないのだ。さらに、b)不平等を拡大させる腐敗が存在する中で、統治を正当なものとするためには、不平等を抑制する必要があるのだ、腐敗は、政治的資本主義に固有のものであり、あまりにひどくなれば、経済政策の実行力が損なわれ、政治的資本主義を維持する社会契約の要の部分の崩壊を招くのだ。

 政治的資本主義の代表は中国であると記載してが、中国は本当に資本主義なのだろうか?a)社会で生産の大半が民間所有の生産手段を用いて行われ、b)労働者の大半が賃金労働者であり、c)生産や価格設定についての決断の大半が分散されたかたちでなされている、ことが資本主義の条件となる。この条件のすべておいて、現代の中国は資本主義に該当する。

 今後、資本主義は、どのようなものになっていくのであろうか?現在は、超商業化資本主義社会以外の選択肢はなさそうである。超商業化資本主義とは、生産と家庭の領域の境がなくなり、家庭内にも外の市場原理が働くようになる世界である。家庭内の掃除や修理、庭仕事や子育てなど多くの活動が商品化され、アウトソーシングされるようになってきている。そして、超商業化資本主義社会では、商業化社会の繁栄に必要な貪欲な精神を持つ一方で、道徳観念の欠如が避けられなくなる。

現代社会は、40年以上にわたる新自由主義政策により、大きな格差を生み出している。現代の道徳感、倫理感の欠如は、世の中の格差拡大の結果なのか、格差を生み出す要因なのか。いずれにしても、日本は世界に先駆けて超高齢化社会への突入し、格差が拡大する中、景気の低迷と物価上昇というスタグフレーション的な状況に陥っている。このような社会をどう生き抜くか、人々の行動が試されているのではないだろうか?