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2022 Vol. 4:『世界史とヨーロッパ – ヘロドトスからウォーラーステインまで - 』

 

『世界史とヨーロッパ – ヘロドトスからウォーラーステインまで - 』 岡崎勝世著, 講談社現代新書, 2003

 

 本書は、冒頭の「歴史は「現在と過去との対話」だと言われ、ここから必然的に「歴史は書きかえられる」といわれる。「現在」そのものが変化し、その「現在」から行われる「過去」への問いかけも、解答もまた変化するからである。」という著者の問題意識に対する著者なりの解答を得ようという試みである。

 ここでは、過去から現代までのヨーロッパ世界史をなぞりつつ、歴史がどのように変化していったのか、当時の社会認識について記載してみようと思う。

 古代ギリシャの時代にヨーロッパ、アジアという単語が使われだしたが、当初は東・西を区別する程度のものであった。それが、「歴史の祖」と言われるヘロドトスが書き残した世界認識によると、ヨーロッパ(ギリシャ)は、自由民が自ら定めた法に基づいて国家(ポリス)を運営している世界であり、アジア(ペルシャ)は、神権的な君主とこれに奴隷的に隷属する臣民からなる世界である、と特質を異にする対立的な二大世界として描いている。

 中世になると、キリスト教の司教アウグスティヌスにより、人類史は、神の計画に沿った、人類の救済という目的に向かって進む、直線的かつ発展的過程と考える救済史観がまとめられた。この史観はキリスト教徒の基本的歴史観として受け継がれていくことなった。このような聖書を直接的基盤とする世界史は、「普遍史」と呼ばれるものである。この種のキリスト教的世界史は、十八世紀まで書き継がれていくことになる。

 近世に入ると、大航海時代の影響により、十六世紀には球体の大地と四大陸からなる世界が受け入れられるようになり、メルカトル図法の世界地図が作られるようになった。そして、プロテスタントが依拠するヘブライ語聖書とカトリックが依拠するギリシャ語訳聖書における年号計算の相違により、人類史においてプロテスタント的時間とカトリック的時間の二つの時間が出現した。

 この時間の観念は、十七世紀のニュートン物理学の登場により大きく変化することとなった。ニュートン物理学では、外界の何ものとも関係なく均一にながれる絶対的時間が前提となっている。そして、十八世紀には人間精神の法則的な進歩を記述するという啓蒙主義的歴史が現れた。そこでは、ニュートン的な無限の直線的時間の概念に基づいていた。啓蒙主義では、キリスト教的人間観を否定し、自然の体系の一員である「理性的動物」としての人間のために歴史を記述しようとした。これ以前の普遍史の時代には、聖書は一字一句すべてが神の言葉を書き写したものとされていたが、複数の人間集団による歴史的文書と考えられるようになり、普遍史の大前提が覆されることとなった。

 十九世紀になると、啓蒙主義の合理主義・理性中心主義を批判して、人間の心情を重視し、文学論、人間論を展開するロマン主義が台頭した。この批判は、資本主義的な生産の現場では人間の労働が「時間」で計られ、それが「お金」に換算される。そこでは人間は機械の一部にすぎず、抽象的な「数」としてしか現れてこない。このような人間性に反する事態をもたらしたものこそが、啓蒙主義的合理主義だと考えた。つまり、資本主義に対する批判であったのだ。

 結果として、十九世紀的な西ヨーロッパ中心主義のもと、「発展」する西ヨーロッパとアジア・アフリカの停滞社会からなる十九世紀西欧的世界史が成立した。この考え方は、戦後日本の世界史の基礎なった。だが、1970年代以降、多様な要素が一体化して運動している世界の歴史が求められるようになってきた。

 世界史は、高校教育において必須科目になっているので高校時代に履修しているのだが、ほぼ記憶にない。啓蒙主義による人間の労働に対する認識は、時間当たり単価×労働時間で換算される現代の労働対価と同様と考えられる。本書の中にも時代は繰り返すという記述も見られた。今後、我々がどのような歴史を作っていくのか、我々自身が見極めることが重要と考える。