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外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

2022 Vol. 6:『世界サブカルチャー史 欲望の系譜 – アメリカ70-90s「超大国」の憂鬱 -』

 

 

『世界サブカルチャー史 欲望の系譜 – アメリカ70-90s「超大国」の憂鬱 -』 丸山 俊一+NHK「世界サブカルチャー史」制作班 著, 祥伝社, 2022

 

 本書は、「NHK BSプレミアム」で放送されている番組の書籍化である。「欲望の資本主義」シリーズの書籍化と同様、番組ではカットされた部分も含めて収録されている。本書では、1970年代から1990年代について、当時の映画からアメリカ社会を掘り下げようというものである。

 70年代のアメリカは衰退の時代であったが、この時代が今日の世界を形作る「種まき」の時代であった。この時代に、アメリカ人のアイデンティティを形づくるものとして大衆文化が政治にとって代わった。60年代後半から70年代の初めにかけて、自己中心主義と何ら変わることのない超個人主義が蔓延した。この極端な個人主義は、現代の新自由主義を助長し、当時の映画にあるファミリーの利益を第一に考える点や欲望に駆られるだけの存在は、現代の資本主義がもたらす競争社会の予兆でもあったのだ。そして、この時期のアメリカは、自分の信じたいことは、何であれ信じる態度を持つ、ファンタジーランド(幻想の国)であった。この時代を象徴する映画が『スター・ウォーズ』であり、ジョージ・ルーカスは映像の力で現実から夢の世界へ我々を連れて行ったのだ。

 80年代のアメリカ文化は、「レーガノミクス」と呼ばれる経済対策により経済の不調を乗り越え、自由な資本主義と物質主義を手に入れた。つまり、70年代の制限と低迷の時代を抜け出したのだ。一方、軍事活動に反対する核兵器凍結運動やエイズの蔓延に対する政府の無策を追求する活動もあった。そして、80年代のアメリカは、新自由主義的な市場経済と物質主義を受け入れ、賞賛するようになった。『ウォール街』という映画は、強欲な野望と自己中心的な考え方に囚われた人物が家族やコミュニティーを破壊するという自由な資本主義の台頭、市場原理主義の暴走への批判であった。だが、「強欲は善である。」という言葉に象徴されるように、アメリカの資本主義を称揚するとしてものとして受け入れられた。

 1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊とそれに続くソビエト連邦の崩壊により、90年代には冷戦が終結した。つまり、90年代は、明確な敵を見失った「ポスト冷戦」の時代である。これまでのヒーローものからスパイ映画が多く作られるようになった。一方、90年代、特に後半はWindows95の登場により、PCとインターネットが普及するようになった。情報化社会の幕開けである。そして、現代社会を見ればわかるように、インターネットを中心とした情報化社会の進展は、世の中を一変させた。だが、ネット上に溢れた情報は、真実と虚偽も不明なものになっている。現代では、『マトリックス』のように自分が現実に生きていると思っている世界が、コンピューターが作り上げた仮想現実であるということも体験できる。自分の分身として、仮想空間上でアバターが生活することができる。『マトリックス』の世界は、現実と仮想空間の区別がなくなった世界である。90年代は、アメリカの「美徳」と考えていた、無邪気なひたむきさが「幻想」であることに気づき、その結果の喪失感が広がっていた一方で、様々な新技術が生まれていた時代なのだ。

 サブカルチャーの意味は、メインから零れ落ちたものを指している。本書では、メインから零れ落ちたものは、「欲望」ということなのであろうか?

 ファンタジーランドとしての「幻想の70s」から停滞と無力感から脱出を目指す、「葛藤の80s」、そして、情報化社会の進展により、バーチャルとリアルの世界に引き裂かれそうになりながらも生き抜いていかねばならない「喪失の90s」。

2022年の現在を見てみると、「レーガノミックス」による新自由主義の影響が40年以上経過した現在でも色濃く残っている。だが、こと日本においては、慢性的な不景気と価格上昇という40年前の当時克服したはずのスタグフレーション的な状況に陥っているようだ。もはや日本は経済大国ではないようだ。日本はどうなっていくのだろうか?少なくともわれわれは、表面的な情報にとらわれず、問題の本質を見極める視点を持つことが必要である。