TechnologyとIntelligenceに憧れて

外資系ネットワーク・エンジニアの独り言。

2022 Vol. 4:『世界史とヨーロッパ – ヘロドトスからウォーラーステインまで - 』

 

『世界史とヨーロッパ – ヘロドトスからウォーラーステインまで - 』 岡崎勝世著, 講談社現代新書, 2003

 

 本書は、冒頭の「歴史は「現在と過去との対話」だと言われ、ここから必然的に「歴史は書きかえられる」といわれる。「現在」そのものが変化し、その「現在」から行われる「過去」への問いかけも、解答もまた変化するからである。」という著者の問題意識に対する著者なりの解答を得ようという試みである。

 ここでは、過去から現代までのヨーロッパ世界史をなぞりつつ、歴史がどのように変化していったのか、当時の社会認識について記載してみようと思う。

 古代ギリシャの時代にヨーロッパ、アジアという単語が使われだしたが、当初は東・西を区別する程度のものであった。それが、「歴史の祖」と言われるヘロドトスが書き残した世界認識によると、ヨーロッパ(ギリシャ)は、自由民が自ら定めた法に基づいて国家(ポリス)を運営している世界であり、アジア(ペルシャ)は、神権的な君主とこれに奴隷的に隷属する臣民からなる世界である、と特質を異にする対立的な二大世界として描いている。

 中世になると、キリスト教の司教アウグスティヌスにより、人類史は、神の計画に沿った、人類の救済という目的に向かって進む、直線的かつ発展的過程と考える救済史観がまとめられた。この史観はキリスト教徒の基本的歴史観として受け継がれていくことなった。このような聖書を直接的基盤とする世界史は、「普遍史」と呼ばれるものである。この種のキリスト教的世界史は、十八世紀まで書き継がれていくことになる。

 近世に入ると、大航海時代の影響により、十六世紀には球体の大地と四大陸からなる世界が受け入れられるようになり、メルカトル図法の世界地図が作られるようになった。そして、プロテスタントが依拠するヘブライ語聖書とカトリックが依拠するギリシャ語訳聖書における年号計算の相違により、人類史においてプロテスタント的時間とカトリック的時間の二つの時間が出現した。

 この時間の観念は、十七世紀のニュートン物理学の登場により大きく変化することとなった。ニュートン物理学では、外界の何ものとも関係なく均一にながれる絶対的時間が前提となっている。そして、十八世紀には人間精神の法則的な進歩を記述するという啓蒙主義的歴史が現れた。そこでは、ニュートン的な無限の直線的時間の概念に基づいていた。啓蒙主義では、キリスト教的人間観を否定し、自然の体系の一員である「理性的動物」としての人間のために歴史を記述しようとした。これ以前の普遍史の時代には、聖書は一字一句すべてが神の言葉を書き写したものとされていたが、複数の人間集団による歴史的文書と考えられるようになり、普遍史の大前提が覆されることとなった。

 十九世紀になると、啓蒙主義の合理主義・理性中心主義を批判して、人間の心情を重視し、文学論、人間論を展開するロマン主義が台頭した。この批判は、資本主義的な生産の現場では人間の労働が「時間」で計られ、それが「お金」に換算される。そこでは人間は機械の一部にすぎず、抽象的な「数」としてしか現れてこない。このような人間性に反する事態をもたらしたものこそが、啓蒙主義的合理主義だと考えた。つまり、資本主義に対する批判であったのだ。

 結果として、十九世紀的な西ヨーロッパ中心主義のもと、「発展」する西ヨーロッパとアジア・アフリカの停滞社会からなる十九世紀西欧的世界史が成立した。この考え方は、戦後日本の世界史の基礎なった。だが、1970年代以降、多様な要素が一体化して運動している世界の歴史が求められるようになってきた。

 世界史は、高校教育において必須科目になっているので高校時代に履修しているのだが、ほぼ記憶にない。啓蒙主義による人間の労働に対する認識は、時間当たり単価×労働時間で換算される現代の労働対価と同様と考えられる。本書の中にも時代は繰り返すという記述も見られた。今後、我々がどのような歴史を作っていくのか、我々自身が見極めることが重要と考える。

 

 

2022 Vol. 3:『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

 

『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』 デヴィット・グレーバー著, 酒井隆史, 芳賀達彦, 森田和樹訳, 2020, 岩波書店

 

 著者のグレーバーは、日々の生活の中において多くの人が感じることが多い、「仕事の存在理由について、その仕事を毎日こなす本人でさえ確信できないほど、完璧に無意味な仕事」をブルシット・ジョブと定義し、現代社会における矛盾を投げかける。仕事、労働、働き方とはどうあるべきものなのか?

 グレーバーは、ブルシット・ジョブを以下の五つに分類している。

 ・取り巻き(flunkies)

だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせたりという、ただそれだけのために存在している仕事

 ・脅し屋(goons)

欺いたり圧迫を与えたりすることで相手の利益になるとは思えないものに誘導するような自分の仕事がなんら社会的価値をもたないし存在しないほうがマシだと感じている仕事

 ・尻ぬぐい(duct tapers)

組織に欠陥が存在しているために存在している仕事のために雇われた人

多くはだれもあえて修正しようと気にかけてこなかったシステム上の欠陥の始末

 ・書類穴埋め人(box tickers)

ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような被雇用者

表向きの目的達成になんら寄与せず、実際には目的達成の足を引っ張っていることを認識

 ・タスクマスター(taskmasters)

もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事

他者のなすべきブルシットな業務の生成と監督、全く新しいブルシット・ジョブをいちから作り出すこと

 

 ブルシット・ジョブの問題は、その仕事をする人に道徳的・心理的影響を与えてしまうということである。ブルシット・ジョブという意味のない仕事に就くことにより、実質的にはなにもせずに高額の賃金を得る人々への影響である。ブルシット・ジョブに就いた人は、役に立つから雇用されたかのように扱われ、実際にそうであるかのように調子を合わせてふるまう。それと同時に自分が雇われているのは、役に立つからではないことを自覚するのだ。これにより、個人の自尊心を損ね、意味のある影響を世界に与えることのない人間は、存在するのをやめてしまうという方向に向かってしまう。

 人が仕事をすることで得られる最も重要なものは、生活のためのお金と世界に積極的な貢献をする機会であることであり、その労働が他者の助けとなり他者に便益を提供するものであればあるほど、そうして作り出される社会的価値が高ければ高いほど、それに与えられる報酬はより少なくなるという矛盾に直面する。特に他者のケアにかかわる仕事に従事すると、ほとんど給料がもらえず借金がかさみ、自分の家族の面倒さえ見られない状態に陥る。これに対して、いなくなっても日常業務に何ら支障がないようなブルシット・ジョブに携わっている人々が多額の報酬を得ているのだ。

 我々が従事している労働の大多数は、生産的であるというよりはケアリングであるという。このケアリング労働は、他者に向けられたものであり、ある種の解釈労働や共感、理解が含まれている。つまり、本来労働は、社会的便益を伴うものであり、そこで得られるであろう便益に見合った報酬が得られるべきである。にもかかわらず、経済のおよそ半分がブルシットから構成されてしまっている。あらゆる人ひとが、どうすれば最もよいかたちで人類に有用なことをなしうるかを制約なしに自らの意志で決定できるとすれば、今よりも効率的な労働配分が実現できるであろう。そして、1930年にケインズが予測した、テクノロジーの進歩によって、週15時間労働も達成できることであろう。

 そのためにも所得格差を引き起こした要因の一つと考えられる、新自由主義からの脱却が必要である。

 

2022 Vol. 2:『変異する資本主義』

変異する資本主義

 

『変異する資本主義』 中野剛志著, ダイヤモンド社, 2021

 

 本書は、「資本主義」とは、物理的生産手段の私有、私的利益と私的損失責任、民間銀行による決済手段の創造という特徴を備えた産業社会である、と定義し、資本主義とは経済変化の「過程」であり、時間とともに変異していくものであるというシュンペーターの理解を共有し、これまでの資本主義の変異と今後の予想を展開するものである。

 バイデン政権は、パンデミック下において、巨額な財政規模を投入した画期的な経済政策を打ち出している。これまで約40年以上にわたって実施されてきた新自由主義ベースの政策では、積極財政はインフレを招くだけであるとして忌避されてきた。だが、財政政策による公共投資が技術開発などの供給力の強化へと向けられるのであれば、高インフレが回避されるだけでなく、将来の経済成長が可能となる。さらに、財政政策は、金融政策よりも強力な景気対策にとどまらず、気候変動対策や感染症対策に資本を振り向け、社会をより良くするための手段である、という経済政策の革命的な転換をしようとしている。

 この経済政策の転換は、主流派経済学における理論の転換によるものであり、2008年の世界金融危機とその後の長期にわたる経済停滞を従来の主流派経済学では説明できないものであったためである。この長期停滞に対して、日本で実施されてきた政策に「構造改革」がある。構造改革とは、経済の潜在成長力を高めるため、規制緩和などにより、資本市場や労働市場を流動的にして競争を活発にすることで、生産性を向上させることを目指すものである。だが、構造改革によって供給力が高まっても、それに伴う需要の増大が同時になければ、デフレ圧力が発生してしまう。まさにこのデフレ圧力が日本経済の状況である。

 著者は、現代の長期停滞の要因が、新自由主義の台頭し、この新自由主義ベースの経済政策により、金融部門の支配力が肥大化する「金融化」とする。金融部門の支配力が強まった結果、以下の経路を指摘する。

  • 企業の利益処分は、株主に有利に労働者に不利に働き、労働者の所得が低下し、所得に依存する消費需要が抑圧される。
  • 企業が短期利益重視・株主重視の経営へと走るようになり、資本ストックへの投資が抑圧される。

このように金融化により、需要の抑圧と供給の停滞をもたらすのだ。

 ここで、供給サイドの企業について見てみると、本来企業組織は、戦略的管理、組織的統合、金融的関与を備え、内部留保と再投資を行う価値創造の制度である。そして、この企業が生産能力への投資を行うための資金を供給するのが、株式市場の本来の姿である。だが、現在の株式市場は、企業に資金を供給するのではなく、企業が株式市場に資金を供給しているのだ。企業組織が株式市場に対して優位であれば、経済は価値創造的、イノベーティブなものとなるが、株式市場が企業組織に対して優位になれば、イノベーションは鈍化し、価値は創造されなくなる。

 さらに、グローバリゼーションにより、企業は国内での労働コストを下げるため、国内の生産性を向上させるのではなく、海外へのアウトソーシングを進めるようになった。この結果、国内経済の成長や国内労働者の所得の向上には貢献しない状況になっているのだ。

 この長期停滞は、制度や階級間の政治的・社会的な力関係を是正する社会変革を実行しなければ打破できないものであった。この状況を、新型コロナウイルスによるパンデミックが一気に変革を実行するのかもしれない。日本を含めた主要国は、大規模な財政政策の実行に舵を切り、新自由主義からの脱却を図ろうとしている。これまで資本主義はさまざまな形態に変異し、継続してきた。外部に拡大していくフロンティアのなく、イノベーションも鈍化が見られる状況において、資本主義はどのような変異を見せるのだろうか?資本主義の変異に適応することができなければ、自滅していくことになるのは自明なことである。

 

欲望の資本主義 2022 『成長と分配のジレンマを越えて』

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『欲望の資本主義 2022 成長と分配のジレンマを越えて』 NHK BS1スペシャ

 

 毎年年初に放映される「欲望の資本主義」シリーズの最新作である。

 今回のテーマは、「成長」と「分配」である。

 昨年の「欲望の資本主義 特別編」で紹介されたように、新型コロナウイルスによるパンデミックからの回復には、「K字回復」の傾向を示している。回復基調となるハイテク産業と低調な状態が継続されるサービス産業に二極化することになりそうだ。そして、今回のパンデミックによる世界各国経済への影響は多大なものであり、日本をはじめとする各国政府は、景気回復に向けた刺激策を実施している。この景気刺激策が、非効率で無用なものを残し、今後の大きな成長が見込めるスタートアップ企業の芽を摘むことにもなりかねない。本来、危機の時に実施すべき政府の救済策が常に実施されているのが今日の資本主義の姿である。

 資本主義の原動力となるのは、利潤を追求することである。かつてケインズは2030年頃には労働時間は大きく減少すると予言していたが、現代社会の労働者はさらなる成長のために、資本家階級から仕事の奴隷として仕向けられている。この結果、市民(労働者)が得られるはずのものがエリート層(資本家)で貯蓄され、大きな所得階差を生み出した。

 福祉国家であるスウェーデンでは、スウェーデン・モデルと呼ばれる政策が実行されている。スウェーデンでは、企業を守るのではなく、人を守ることが最重要視されている。このモデルでは、ゾンビ化した企業を存続させるのではなく、新陳代謝による新たな企業を登場させ、人も技術も市場で再利用することを目指している。これにより、労働の流動化を図り、高賃金と高い生産性を実現している。

 番組内では、チェコの奇才トーマス・セドラチェク氏と若きマルクス経済学者斎藤幸平氏の対談が収録されている。現代は、資本主義が経済成長と裕福な生活を果たすことができず経済的不平等に直面し、破綻している状況であり、現在の制度が解決策を提示できない状況にある。このような状況について、セドラチェク氏は、旧チェコスロバキヤにおける自身の共産主義社会での経験から社会主義/共産主義に反対し、資本主義の中で現在とは異なるやり方があるとして、資本主義の中での解決策を見出そうとしている。これに対して、斎藤氏は、意図的に「脱成長」や「社会主義」という言葉を使いながら挑発的に資本主義を批判し、資本主義からの転換を模索しているようだ。

 人新世の時代に入ったと言われるように、我々の人間は地球環境を破壊し、気候変動の激化を招いた。この環境破壊は、資本主義以上に共産主義社会の方が顕著なものであった。これから我々は、地球の許容限度内ですべての人のニーズを満たすことを考える必要があるのかもしれない。

 資本主義は成長を目指し、これに対する社会主義は分配を志向した。これらの社会制度は、民主主義を前提とし、成長と分配の調整役としての生産性の役割を果たすものと思われる。番組の最後に語られる6つの言葉(成長、分配、生産性、循環、繁栄、幸福)の意味を考えたい。成長、分配、生産性が循環することにより、社会が繁栄し、人々に幸福をもたらすということを意味しているのか?

 最上段の富裕者のグラスが利益の大部分を吸い取る現在の状況では、シャンパンタワーのようなトリクルダウンは起こらない。利益をどのように市民に分配するのかが依然として残る大きな課題である。これまでも資本主義は自由に形を変えて存続し続けてきた。外部のフロンティアがなくなりつつある今、これまでのような外のフロンティアに向けた成長を志向することはできない。宇宙、デジタル空間、アイデアなどこれまでとは異なるフロンティアを活用して、資本主義は存続するのであろうか?

 どのような状況にあっても欲望は止まらない。。。

 

2022 Vol. 1:『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』

アイデア資本主義

『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』 
大川内直子著, 実業之日本社, 2021

 

 近年、資本主義が終焉するのではないか、と言われ始めている。これまでの資本主義は、拡大を志向し、拡大の余地をフロンティアに求めていた。本書では、資本主義を「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義し、富を増やそうとする個々人の精神が資本主義の本質であり、拡大への原動力としている。

 本書では、これまでの資本主義を支えていた、「空間」、「時間」、「生産=消費」という3つのフロンティアが消滅し、資本主義の形態が変化してきている、とする。

 「空間」のフロンティアについて、21世紀になって、これまで本格的に開拓されておらず、最後まで残されていたアフリカの資源開発が過熱するようになり、最早地球上に残された空間的フロンティアはほぼなくなったと言っていい状況になった。そこで、地球の外の宇宙空間も資本主義のフロンティアとして開拓される可能性が出てきている。

 資本主義は、一人ひとりが直線的な時間感覚に基づいて、将来のリスク・リターンを計算し、現在の消費を抑制し投資に回すことで将来の富を増やそうとするミクロな経済行為の集積によって、世界全体を変えるようなうねりを生み出してきた。このため、時間という概念は非常に重要なものとなる。人類は、狩猟採集民から農耕民族に進化するのに伴い、時間のスコープも「いま」にフォーカスする1日から収穫までの1年間へとのびた。そして、資本主義の主役である企業についても、企業の登場当初は、航海が終わるまでの数年間の限定であったものが、期限を設けない無期限の未来をフォーカスするようになった。この結果、拡大のしようがないほどの未来が現在に織り込まれ、時間のフロンティアが未来に向かう時間軸上で開拓され尽くしているのだ。

 「生産=消費」のフロンティアという観点についても、かつてのモノを作れば売れるという時代ではなくなり、現在は新しく生産したモノを売ることが難しい「モノ余りの時代」に突入している。ここでは、消費の拡大および安価な労働力の投入には限界が見えてきており、資源にも課題が見られるようになり、この分野に残されたフロンティアは大きいものではなくなっている。

 資本主義は、フロンティアが拡大できない中でも成長が見られている。これは、本書でインボリューションと呼ばれる、特定の経済活動の範囲内におけるフロンティアの内に向かう拡大が起こっているためである。つまり、従来の経済活動と同様、資本主義の拡大志向が具体化した現象であるが、ベクトルが逆を向いたものがインボリューションなのである。

 これまでの伝統的なフロンティアの延長線上ではないところに新しいフロンティアが現れつつある。その一つが本書のタイトルにあるアイデアの領域である。資本主義が拡大した結果、伝統的なフロンティアが消滅し、外へと向かう成長が行き止まりを迎え、ベクトルの反転した内へと向かうインボリューションが強度を増してきた。このような中で、アイデアの重要性が増し、アイデアを生み出す人のアタマの中が資本主義にとってのフロンティアになり、アイデア資本主義と呼ぶような現象が生じるようになった。アイデア資本主義では、アイデア自体が投資の対象となる。この一つの例がクラウドファンディングである。このアイデア資本主義では、良いアイデアを生み出すことが重要であり、そのためにインサイトを捉えアイデアを具現化していく必要があるのだ。

 これまで資本主義は、社会や個別の状況に応じて形を変えてきた。つまり、資本主義はアップデートすることができるということである。アイデアの時代を迎えた現在、一人ひとりのアイデアで資本主義を良い方向にアップデートすることができるのではないか?

 資本主義に限らず、さまざまなものが変化している時代において、既得権益などの過去のしがらみを断ち切り、未来に向けたアイデアを具現化していくことが必要なのだ。

 

2021 Vol.12:『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』

グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界

グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』 クラウス・シュワブ、ティエリ・マルレ 著 藤田正美、チャールズ清水、安納令奈 訳, 日経ナショナル ジオグラフィック社, 2020

 

 本書は、新型コロナウイルスによるパンデミックの世界的な発生が今後の世界にどのような影響を与えるか、についてマクロ的視点やミクロ的視点などさまざまな視点からまとめたものである。

 今回のパンデミックは、歴史の分岐点となった第二次世界大戦に匹敵する変化を社会にもたらす可能性がある。この変化がもたらす新しい秩序は無限にあり、我々の想像力が決定することになる。そして、この危機が終息した時に現れる世界をより良く、復元力の高いものにするためには、我々が世界のイメージを描き直すことが必要である。

 歴史的に感染症によるパンデミックは、国の経済や社会機構を組み直す大きな契機(グレートリセット)となってきた。パンデミックに停滞した経済を持続的に回復させるために、政府はあらゆる策を講じ、コストをかけても国民の健康や社会的な富を維持しなければならないのだ。もし政府が国民の命を守ることに失敗すれば経済の回復は進まない。一方、新型コロナウイルスによるパンデミックは多くのものを寸断したが、ここで一度立ち止まり、本当に価値があるものは何かを見つめ直す契機である。経済をより公平で環境に優しい形に生まれ変わらせる制度の変更や政策を選択するチャンスなのだ。

 さらに、パンデミックは、大規模な富の再配分と新自由主義との決別という二つの流れを社会基盤にもたらす。その結果、不平等がもたらす社会不安から、政府の役割の拡大、そして社会契約の再定義に至るまで、社会組織に決定的な影響が生じることになる。

 また、地政学の観点からは、パンデミックは多国間主義が終焉し、グローバルガバナンスに空白が生じ、ナショナリズムが台頭することとなった。これにより、地政学的な断層で世界が分断された結果、国際的に協力する集団的有効性が制約され、パンデミックを根絶する能力を発揮することができなっているのだ。

 現代社会は、グローバルリスクから見ると、パンデミック、気候変動、生態系の崩壊という三つの重大な環境リスクにさらされている。これまで人間は多様な動植物が生息する自然環境を侵略し、生物多様性を破壊してきた。この結果、解き放たれた新型ウイルスの新たな宿主に選ばれたのが人間なのだ。つまり、生物多様性を破壊するとパンデミックの数が増加するという状況に直面しているのだ。そして、パンデミックの終息後、世界はどの方向に進むのであろうか?気候変動は棚上げして経済回復に向かうかもしれない。けれども、気候変動リスクが顕在化するまでには、パンデミックよりも時間がかかり、パンデミックよりも深刻な結果をもたらす。我々はこれまで以上に環境に目を向けていかなくてはならないのだ。

 テクノロジーの進化は急ピッチで進み、AI、モバイル機器などは我々の生活の中にすっかり溶け込んでいる。そして、オートメーションとロボットは企業経営に変革をもたらすものとなった。このように第四次産業革命は、その範囲においてもスピードにおいても目覚ましい発展を遂げた。さらに、パンデミックが技術革新をこれまで以上に加速させることとなった。そうした中、パンデミックはプライバシーというテクノロジーが社会と個人に避けて通れぬ課題を突き付けることとなった。新型コロナウイルスの広がりに伴い、デジタル技術を用いた接触確認、接触追跡、監視という方向に向かう可能性があるということだ。つまり、監視資本主義の世界である。今後の世界が、個人、それに国家全体の価値や自由を犠牲にすることなく、テクノロジーの恩恵を管理し、存分に活かせるかどう化は、国家と国民の心がけによるのだ。

 ここまでパンデミックが5つのマクロ的な主要分野である、経済、社会、地政学、環境、テクノロジーに及ぼすものについて記述してみた。当然、これ以外にも産業や企業といったミクロ的な側面や個人に関するものも存在する。だが、重要なのはパンデミック後にもとに戻るのではなく、新しくどのような世界を構築していくかである。そのために各個人がどうするべきかを考えることが重要である。

 

2021 Vol.11:『アフターデジタル - オフラインのない時代に生き残る -』 藤井保文、尾原和啓 著

アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る

 

『アフターデジタル - オフラインのない時代に生き残る -』 藤井保文、尾原和啓 著, 日経BP社, 2019

 

 本書は、現在の日本企業のデジタルテクノロジーへの対応に警鐘を鳴らし、日本において、本質的なデジタルトランスフォーメーションを実現し、日本がグローバルをリードすることへの方向性を示すものである。

 「データ産業革命」とも「第4次産業革命」とも呼ばれる、ここ数年のIT技術の発展に伴うビジネス構造の変化において、一番重要なことは、「オフラインがなくなる世界」が到来することである。このことは、キャッシュレス化や常時オンライン接続、IoTセンサーなどにより、各個人の膨大な行動データが生み出されることを意味し、その結果、社会基盤が再構築され、ビジネスモデルも抜本的にルールの変更をもたらすのだ。モバイル決済の普及により、消費者の購買行動のデータ(消費者の接点情報)が収集できるようになり、行動の可視化をもたらす。

 消費者のあらゆる行動が活用可能なデータになってことで、ユーザーの趣向が時系列で把握できるようになり、欲しいタイミングで価値やニーズを提供するというビジネスが誕生している。これは、ユーザー・エクスペリエンスと行動データが根幹になっている。これは、これまでの短期間に商品を大量販売して終了するというモデルからイベントへの参加のような長い時間にわたる継続的に価値を提供するモデルへ転換することを意味する。つまり、商品は価値を体験し続ける上での接点の一つと見なされるのだ。

 そして、アフターデジタルの本質は、デジタルやオンラインを付加価値として活用するのではなく、オフラインとオンラインの主従関係が逆転した世界という視点転換にある。つまり、完全なオフラインは存在せず、デジタルが基盤となることを前提に戦略を組み立てる思考が必要不可欠となるのだ。アフターデジタルの時代において、「OMO (Online Merges with Offline or Online-Merge-Offine)」というオンラインとオフラインが融合し、一体のものとして捉えた上で、これをオンラインにおける戦い方や競争原理として捉える考え方が重要となる。

 オンラインとオフラインを区別しないアフターデジタルの時代の到来に対して、日本企業はどのように対応していけばよいのであろうか?

 アフターデジタルにおけるビジネス原理の変更に伴い、以下のような変革を行っていく必要がある。

  ・顧客の体験に沿った組織構造と体験寄り添い型の

   ビジョンへの全社戦略の転換

  ・「人・属性」ターゲティングから「状況」に基づいた

   ターゲティングの変革

  ・もの売り切り型のバリューチェーンからサブスクリプション

   モデルのようなバリュージャーニーへの転換

 アフターデジタルの時代には、行動データとユーザー・エクスペリエンスをベースにユーザーを起点とした戦略が必要である。ともすれば、オフラインに主眼を置くビフォアーデジタルの戦略に陥りがちになるが、オフラインとオンラインの区別なく、これらを融合した戦略を実行することが生き残りのカギになるのだ。