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2020 Vol.12 『人新世の「資本論」』 斎藤幸平

人新世の「資本論」 (集英社新書)

『人新世の「資本論」』 斎藤幸平 集英社新書, 2020

 

本書は、これまでとは異なるマルクスの思想を展開しつつ、現代における資本と社会と自然の絡み合いを分析するものである。本書において、著者は資本主義が招いた気候変動危機について、常に成長を目指す社会からの脱却し、コモンの考えを含んだ潤沢な脱成長経済を提案している。

「人新世」とは、地質学的にこれまでの完新世に続く時代として提案され、人類の経済活動が地球を破壊する新たな年代のことである。つまり、人新世では、資本主義の継続による環境危機が続けば、地球全体として破局に向かうことになる。人新世においては、人類の経済活動が全地球を覆ってしまった。そして、資本主義が無限の価値増殖を目指すのに対し、地球自体は有限なものである。ここで人類が有限の地球を使い尽くすと今までのやり方ではうまくいかなくなっていく。これが、人新世における危機の本質である。

この環境危機に対して、SDGsグリーン・ニューディールが注目されている。グリーン・ニューディールでは、再生可能なエネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動公共投資を行い、安定した高賃金の雇用を創出し、有効需要を増やし、景気を刺激する。その結果、好景気がさらなる投資を生み、持続可能な緑の経済への移行を加速させる。だが、緑の経済成長がうまくいく分だけ二酸化炭素の排出量も増えていく(経済成長の罠)。この二酸化炭素排出量の削減を目指すのであれば、経済成長を諦め、経済規模を縮小していくしかない。ここで、資本主義のもう一つの罠が出現する。資本主義において、経済規模が縮小していく状況では、コストカットによる労働生産性を上げようとする。経済規模が同じままであれば、労働生産性が向上すると、失業者が発生してしまうため、この状況を回避するためには、経済規模を拡大せざるを得なくなる(生産性の罠)。

そして、資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために絶えず市場を開拓していくシステムであり、資本は手段を選ばず、気候変動などの環境危機が深刻化することさえも利潤獲得のチャンスとする。この結果、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。このため、無限の経済成長を目指す資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる、と著者は説く。

 現代のグローバルな環境危機に対応するため、地球を持続可能な<コモン>とする大きなビジョンを持った、新しい道を模索する必要がある。ここで、<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指している。

資本論』を執筆した頃のマルクスは、社会主義を打ち立てるためには「生産力至上主義」が必要であると考えていた。だが、晩年のマルクスは、生産力至上主義を捨て、エコロジー的な問題意識から資本主義が社会の繁栄に不可欠な自然の生命力を破壊すると考えるようになった。そして、資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用い、その結果、生産力の上昇は掠奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。このため、無限の経済成長ではなく、地球を<コモン>として持続可能に管理すべきとマルクスは考えていた。その結果、マルクスは、脱成長コミュニズムという概念に行き着いた。ここでは、貨幣や私有財産を増やすことを目指す個人主義的な生産から、将来社会においては「協同的富」を共同で管理する生産に代わると考えられていた。つまり、<コモン>の思想である。

もともと土地は、私的な所有物ではなく、社会全体で管理するものであり、このような共有地は、コモンズと呼ばれていた。万人にとって有用で必要なものであることから、コモンズの独占的所有を禁止し、協同的な富として管理された。そして、コモンズは、人々にとって無償で潤沢なものであった。コミュニズムは、コモンズを再建し、ラディカルな潤沢さを回復することを目指すものである。このラディカルな潤沢さを追求することは、消費主義・物質主義からの決別を意味する。その結果、GDPは減少していき、脱成長が達成される、とする。

成長を実現することが宿命づけられている資本主義社会において、全世界レベルでのグローバル化が進展し、外部を使い尽くしてしまった。つまり、人類は、地球を破壊し尽くしてしまったのである。この結果、気候変動を含めた環境問題など、もう先送りできない問題が表面化してきている。このような時代の分岐点が立つ、我々がどのような選択をするのかは、人類の歴史が終わってしまうのか、継続されるのか、大きな影響を与えるものである。本書の主張のような脱成長コミュニズムも選択の対象になるものと考える。

我々は、どのような選択をすべきなのであろうか?